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あやかしとむすめ

殺りん話を、とりとめもなく・・・  こちらは『犬夜叉』に登場する 殺生丸とりんを扱う非公式FANサイトです。

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たとえ、愚かといわれても

 


 


月のない漆黒の夜空に、浮かぶ淡い光が、二つ。


地上からは分からないが、それは二匹の巨大な狗である。
びょうびょうと吹きすさぶ夜風に、白銀の毛がなびく。


「見よ、殺生丸」


「・・・・」


「闇がずいぶん明るくなったと思わぬか」


「・・・」


二匹の巨大な狗は、空を駆ける。
駆けて駆けて、白い雲の中へと姿を消した。







たとえ、愚かといわれても






ゆったりと謁見の間の椅子に腰掛けたご母堂は、肩にかかった銀髪を払うと、扇の奥で忌々しげに溜息をついた。

「まったく、あれでは妖の力が衰えるはずじゃ。話には伝え聞いておったが、あれほどまでに地上の闇が明るくなっておるとは思わなんだ」

眉間にしわを寄せたまま、ご母堂は不愉快そうに息子を見上げる。
めずらしく不機嫌さを露わにした母の言葉にも、殺生丸は感情の読めぬ表情で遠くを見ている。

「あれは、何じゃ。節度もなく煌々と闇を照らしおって」

「――― あれは、ガス灯だ」

殺生丸の言葉に、ご母堂は意外そうに目を開く。

「ほう、そなた見知っておるのか」

「・・・下界にいれば、嫌が応にも耳に入る」

殺生丸の言葉に、ご母堂は深く息を吐いた。

「昔であれば、尾の一振りで人間の住む町ごと一網打尽にしてくれるところじゃがの。・・・そろそろ、我らも潮時かの」

潮時、などという母には似合わぬ言葉に、殺生丸はわずかに表情を動かしたが、そのまま、静かにご母堂の御前に広がる敷地へと目を移した。
母の御前の緩やかな段になったその広場には、多くの見張りの配下が控えている。
殺生丸が寄りつきもしないこの城に、配下として仕える妖の数がどれほどいるだろう。
殺生丸は知ろうとしたことすらない。この母も、己の城でありながらも、そういうことにはあまり興味がないように見える。
だが二人とも、己の血をひく一族がどこに生きついているかは、匂いでわかっている。
もう、狗の血をひく一族は、天上のみではない。
りんとの間に生まれた子供たちの子孫は、下界の、ご母堂が嘆いたあのガス灯のそばに息づいている。

――― 近年、この国の人間はすさまじい進歩を遂げた。
夜の闇が、もはや妖たちの支配するところでは無くなるほどに。

殺生丸とて、天神地祇(あめつちのかみがみ)に対する畏れを無くし、次第に傲慢になっていく人間たちに対し、忌々しいものを感じてはいる。だが、だからといって人間たちの進歩を阻むべく、彼らを攻撃するような意志はない。あんなことを言っても、ご母堂とてそれは同じだろう。
地上に、己の血をひく一族がいるかぎり。

「・・・地上の妖の数は、一昔前に比べれば激減した」

そう言いながら、殺生丸は目線を落とした。城の下を透かして見るように。

「さもあろうよ、面白くもない。あんなものが闇を照らしては、妖の力が半減してもおかしゅうはないわ。闇への畏れこそが、多くの妖の力の源なのじゃからな。まったく、いつの間にこんなことになっておったのじゃ」

不愉快そうにそう言い、ご母堂はジロリと息子を睨んだ。

「誰かのせいで、この城にはわらわの孫やら曾孫やら玄孫やらが数え切れぬほど増えたからの。相手に忙しゅうて忙しゅうて、この100年は地上を見る暇も無かったわ。だいたい、そなたがここを訪れるのはどれくらいぶりじゃと思うておる。100年ではきかぬぞ」

「・・・」

殺生丸は、そしらぬ顔でそっぽを向いた。
この線で攻められると、殺生丸には勝ち目がない。


りんがこの世を去った後、殺生丸はその痛みに耐えかねるように、子供たちの元を去ってしまった。
りんの面影の残る子供たちは、愛おしくも、当時の殺生丸には目にすることすら辛かった。
子供たちの多くが、父が忽然と姿を消してしまったことに驚いたが、彼らは戸惑いながらも半妖なりに考え、皆で話し合い、己の生きる道を選んでいった。
そして、半妖の中でも妖の力の強いものは、妖として生きるべく、ご母堂の元へと身を寄せたのである。

元々、殺生丸たち狗の一族は、妖としては群を抜いた妖力の持ち主ではあるが、繁殖力は弱く子が少ない。殺生丸とりんの子供の中には、限りなく妖怪に近い子供もいたことから、ご母堂も一族の長として思うところがあったのだろう。
一族の半妖たちの庇護者となって、世代を重ねる子供達を育ててきた。
 
逆に、限りなく人間に近い子供たちは、妖力がものをいう世界で生きるよりも、人間たちと共に大地の上で土と共に生きることを選んだ。妖力のないものは、妖力がものをいう天上では、どうしても弱い立場に立たされてしまう。
けれど、地上に降りれば必然と、人間たちよりは半妖の方が様々な分野で能力が高く、彼らは彼らで人とうまく交わっていった。

子供たちは父親に似ず結束力が強く、天と地に分かれても互いに互いを思いやり、助け合って生きてきた。
そういうところは母親に似たのだろう。
地上で暮らす兄妹たちの間に妖の血の濃い赤子が生まれれば、天上で引き取り育て、天上に人間に近いものが生まれれば逆に地上へ預けたりして、子供たちは殺生丸の預かり知らぬところで互いに補い、助け合って生きてきたのである。

ただ、人間の血の繁殖力ばかりは、ご母堂の想像を越えていた。
天上の城に暮らす子供たちは、次から次へと子を産み、増えた。
その子供たちをすべて保護下においたご母堂の身辺の煩雑さは、殺生丸には想像を絶するものがある。あっという間に100年くらい過ぎ去ってもおかしくはない。この責任をどうとる、と言われれば殺生丸は言葉もないが、反面、その煩雑な賑やかさは闘牙王がこの城にいた頃に似ていて、ご母堂は不思議な心地よさの中で、退屈しない数百年を過ごした。

ご母堂は、扇の奥で苦笑する。

「・・・・のう、殺生丸よ。人間は、強(こわ)いの。我らの一族は滅多に増えぬはずが、りんの血が混ざっただけで、この有様じゃ。減る数よりも増える数の方が圧倒的に多い。もう、わらわにはそなたの血を引いた子が何人この城にいるかすらわからん。人間と我らが一対一では負けるはずもないが、人間と妖、種と種の争いとなれば、どうであろうな」


ご母堂の言葉に、殺生丸は地上の人間たちを思う。

2000年以上、島国から出ることなく穏やかに暮らしていたこの国の人間たちは、最近、海の向こうからやってきた外つ国の影響を受けて、大きくその在り方を変えた。 着物を変え、戦うすべを変え、ついこの前までは考えられぬことだが、地上を蒸気の力で鉄の車が走るようになった。
そして、かつて人里だった場所にはガス灯が灯るようになった。
最近では、雷の力を制御することも覚え、人力では到底動かせなかったものを、動かすようになっている。そのうち、空を飛びまわりだしてもおかしくない、とすら思う。

ヒトという生き物は短い命のくせに恐ろしい勢いで変化し進化するのだ、ということを、殺生丸は改めて思い知った。ここ千年を思い返してみても、こんな急激な変化はなかったように思うが、人間たちはたった数十年で、その変化を受け入れて、更に前に進もうとしている。

(人間は、強(こわ)い・・・か)

そして、久しぶりにこの城を訪れた、その理由を思う。
それは確かにご母堂の言う、潮時、ということなのかもしれなかった。

「・・・最近、地上の人間たちに明らかな変異が見て取れる」

「変異じゃと?」

怪訝な表情を浮かべたご母堂に、殺生丸は静かに向かい合う。

「・・・人間たちに、妖が見えるものが、ほとんどいなくなった。我らのように人型をとれる妖は別だが、雑多な妖に至っては、人間たちから目の前を素通りされている。・・・それと関係があるかは分からぬが、妖の方も妖力が衰え、己の姿形を保てぬようになったものが増えている」

ご母堂は、玉座の上で溜息をついた。

「そなたの長子が嘆いておったわ。先日、地上で暮らす一族の中に獣の耳を持つ赤子が生まれたと噂で聞いたのでな、引き取りに下界まで降りたのだそうだ。人間とは姿形の違う半妖は、地上では生きにくかろう、とな。あやつは内も外もりんに似て優しいからの。で、どうなったと思う、殺生丸」

「・・・・・」

殺生丸は、黙した。見目も、その性格も、あまりに妻の面影を残した長子。

「その生んだ母親がの、赤子を見て、獣の耳なんぞどこにあるのじゃ、と申したそうな」

「・・・!」

殺生丸は、目を見開いた。

「我らの姿形は、妖気の結晶ともいうべきものじゃ。そなたの長子には、その赤子に明らかに妖気漂う狗の耳が見えたそうじゃ。だが、地上で生きているそなたの血を引いた親には、その妖気すら見えておらなんだ。我らの血を引くものが、じゃぞ?」

ご母堂は、扇の奥で溜息をつく。

「話を聞いたときには、何かの間違いであろうと思うた。だが、そなたの話を聞けば、辻褄があう。我らの血をひく一族ですら、そうなのだ。普通の人間であれば、なおのことであろうな。・・・妖は、人間たちに認識されぬ存在になりつつある」

「・・・・」

殺生丸は、渋い表情で頷いた。ご母堂も、ため息をこぼす。

「・・・これは、そのガス灯とやらのせいだけではあるまい。この世界の理(ことわり)が変わりつつあるのであろ。外つ国でも、似たような話はきいたことがある。彼の国では人間という種族が台頭すると同時に「エルフ」という精霊の種族が消えていなくなったそうだ。彼らは、自分の意志でこの中津国から常世へと姿を消したのだそうだがな」

殺生丸は渋い表情のまま、地上の人間たちを思う。
人間たちは、文明の進化により力を得ている。
それに比べ、妖たちはどうであろう。
退化はあっても進化は望むべくもない。
数百年前であれば、人間たちはただただ、妖の前に畏れおののくばかりだったはずだ。母が言うように、それは、人間たちの闇への畏れこそが妖に力を与えていたからなのだろう。
・・・だが今、その畏れが、人間から消えつつあるのだ。

「我ら妖は、人間の知り得る理(ことわり)の外の存在じゃ。いわば、不思議の存在じゃな。我らのように神に近い存在もあれば、姿形のない精霊にちかい妖もおる。我らがなぜそうあるかは、人間には永遠に分からぬ。解き明かすこともできぬ。それは、神々の領域だからの。・・・じゃがの、わらわもそなたの子らと接してきてわかったことがある。人間は、その理(ことわり)が何なのかを、限りなく追求する生き物じゃ。そう考えれば、人間たちに我らが見えなくなっている理由もわからなくはない」

「・・・どういうことだ」

「人間たちは、境界線を引いたのじゃ。ここから先は、知らぬ、とな。ひとたび人間たちが境界線を引いてしてしまえば、そのあわいに存在していた妖は、人間たちの領域には「いないはずのモノ」になってしまう。そこに存在していても、人間たちがそれを認識できぬようになる。人間は己自身に呪をかけたわけじゃ。あるはずのないモノは見えぬ、目に見えぬモノはそこあるはずがない、とな」

「・・・呪(しゅ)、か」

人間という種族は、短い命を繋ぎ、先祖の記憶を文字にして蓄える。
それは連鎖する「知識」という鎖となって人間という種全体に呪をかける。
急激に文明が進んだことで、より強い呪がかかり、人間たち全体の意識が変化したのだ。
強(こわ)い呪だ。
つい、この間まで見えていたものが見えなくなってしまうほどの。

「・・・殺生丸よ」

ご母堂はすらりと立ち上がると、その美しいかんばせに苦笑を浮かべた。

「そなたがここへ訪れたのも、決定的な「何か」があったのではないのかえ?」

殺生丸は、小さく息をはいた。

「・・・東国の豹猫一族が、一族を引き連れて幽界へ姿を消した」

「ほう、あの闘牙と敵対しておった、あの一族か」

ご母堂は懐かしそうに目を細めた。
あの四兄妹の長姫の名は、冬嵐といっただろうか。

「・・・一族を、守るためだと言っていた」

「そなたに、別れの挨拶に来たか。律儀なことよの」

ご母堂は猫のように笑い、殺生丸は、眉間にしわを寄せる。

「・・・」

冬嵐は去り際に、「次は幽界で心おきなく、どちらが上か力比べをいたしましょう、殺生丸さま」と言った。
現世(うつしよ)で妖の力が弱まりつつある今、一族を率いて幽界へ身を移すのは、妖としてはまっとうな選択なのだろう。
ご母堂の言った「エルフ」のように。あちらへいってしまえば、もはや、妖の力が衰えることはない。どんなに力の弱い妖でも、千載の時を生きることができよう。
ただし、この世とあの世の境を越えることは、もう、二度とできない。
それができるのは、殺生丸のみだ。あの世とこの世をつなぐ刀を持った。

「―― 母上は」

一族をどうするなさるつもりだ、と聞こうとした瞬間、殺生丸は自分に向かって投げられた何かをパシリとつかんだ。
ジャラリ、と音を立てて手から下がったそれは、闇の光を放つ宝玉。

「・・・・冥道石」

ご母堂は皮肉げに笑う。

「また、父上にどうするべきか聞きに参るか?」

殺生丸は、ぐっと言葉に詰まる。一度、りんに求婚する前に、殺生丸はりんに何といっていいかわからず、父上の墓参りをした。 黙って持ち出したことを、いまだに母は根に持っているらしい。

「・・・必要ない」

投げ返した冥道石は、放射線を描いてご母堂の手に収まった。

「私は、地上で生きる。・・・人間たちの中で、りんを待つ」

そうでなければ、りんを見つけられないかもしれない。
昔のように澄み切った大気の中であれば、りんの匂いはどんなに離れていても分かっただろう。だが、人間たちが急速に集まりつつある街の中は、匂いが凝り、昔のようにりんの匂いを追えない。

殺生丸の中に、予感のようなものがある。
運命の歯車が合う予感がする。
もうすぐ、かもしれない。

・・・りんの魂が、生まれ変わるのは。

「そうかえ。ほんに、そなたは変わったの」

ご母堂は、また、猫のように笑った。

「わらわも、このままここで生きる。この宮は結界の中ゆえ、たとえ人間どもが空を飛び回るようになってもここへは来れぬしな。それに、この宮にいるそなたの子供らも、わらわが幽界に赴くなど承知せぬだろうしの」

ご母堂は、ふと良いことを思いついたように笑う。

「ああ、そうじゃ。そなたがまた下界に屋敷を構えるなら、わらわが地上に遊びにゆくのも悪くない。そこにりんも居るなら尚更じゃ。人間に化けて遊んでみるのも楽しかろ。幽界なんぞ、下界よりつまらぬわ」

シャラリ、と冥道石を首にかけながら、ご母堂はきびすを返す。


「・・・小娘を見つけたら、わらわにも教えるのじゃぞ、殺生丸」


ご母堂の言葉を背に受けて、殺生丸はふわりと浮いた。
見張りの妖を眼下に眺めながら、城から飛び立つ。


りんがこの世を去ってから、人間とは、距離を置いて生きてきた。
人間のことなど、何も知らぬ。


りんの為に学ぶことは多そうだ、と思い、殺生丸はわずかに苦笑した。


 


 


 


私は、地上で生きる。りんの為に。


―――― たとえ、愚かといわれても。















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