殺りん話を、とりとめもなく・・・ こちらは『犬夜叉』に登場する 殺生丸とりんを扱う非公式FANサイトです。
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すやすやとした寝息を立てる体温の高い愛しい生き物は、完全に寝入ったようだ。
りんは、つきたてのお餅のようなぷっくりとした頬を、つん、とつついた。
頬をつつかれても、ぴくりとも動かない。ぐっすりと寝入った証拠だ。
「ふふ・・・おやすみ」
りんは、末の子の頬をそっと撫でて微笑むと、ゆっくりと体を起こした。
そばに置いてあった夜着を羽織ると、そっと寝床を後にして立ち上がる。
扉をあけると、ひんやりとした夜風が頬を撫でた。
廊下には乳母が控えている。
「ありがとう。あとはお願いね」
「かしこまりまして」
深々と頭を下げて、それから乳母はりんを見上げて微笑んだ。
「やはり、母上さまでなければ寝付いてくださいませぬな」
りんは、乳母の言葉に思わずくすりと笑った。
今年で2つになる男児は甘えたで、特にりんに懐いている。
他の身の回りの世話は乳母でもしぶしぶ言うことを聞くが、寝るときだけはりんが傍で添い寝をしなければ寝てくれない。「母上さまと一緒に寝たい」と足元に水たまりができるほどに泣く。そんな殺生丸似の末っ子が、りんはたまらなく可愛く愛おしい。
けれど、夫婦の閨を空にするわけにもいかず、りんは末の子を寝かしつけてから、毎晩廊下を渡り、夫婦の寝室に戻るのだ。人間であるりんが寝る時間に合わせて、律儀で優しい夫は、必ず閨で待っていてくれる。
・・・とはいえ、ここ数日は一人寝の夜が続いていた。
「殺生丸さまは?」
「いまだ、御戻りになられませぬ」
「・・・そっか」
りんは、夜着の胸元を寄せた。
殺生丸は、ここ数日戻っていない。
この世には、殺生丸にしか果たせぬ役割があるらしい。
殺生丸はりんに詳しく語りはしないけれど、殺生丸が担う役割は他の誰にも成しえない、この世の理(ことわり)の一部であることは、りんも理解している。りんには手伝いようのない分野で、無事に帰ってくることを祈るしかできない。
庭の夜香木の花が、ふわりと香った。
夜はひんやりとした風が通るが、季節は本格的な夏に入ろうとしている。
「りんさま、今宵は七夕(しちせき)でございます」
「あ・・・そうかぁ。もう、そんな季節なんだね」
りんは、夜空を見上げて目を細めた。
今日は、雲一つない星空だ。遠く、細い細い三日月が浮かんでいる。
あの三日月が山に落ちたら、夜空は天の川に覆い尽くされるだろう。
それはそれは美しい、星々の大河だ。
「・・・今宵はきっと、お戻りになられましょう」
乳母が、やさしい声でそう言った。
りんは、微笑んで頷く。
「・・・そうだね」
この屋敷の者たちは、皆、知っている。
ここの主がどれだけ、愛しい人間の妻を大切にしているかを。
「・・・ありがとう。じゃあ、向こうに戻るね。子どもたちをお願い」
「はい、お任せ下さいませ」
乳母を残し、りんは渡り廊下を歩む。
ひんやりとした夜風が心地よい。
こんな時、りんは待つしかない。
殺生丸は、この世で唯一、天生牙に選ばれた存在なのだ。
そんな夫の事をとても誇らしく思う。
昔と違い、りんの周りはずいぶんと賑やかになった。
そんな中で、子供たちと一緒に愛しい夫の帰りを待つのは、楽しみでもある。
昔はもっと切ない気持ちで、夜空を見上げていたものだ。
満点の星空を見上げて、りんは子どもの頃へと思いを遡らせる。
そして、こつん、と幸せな記憶にぶつかり、りんの頬は思わずゆるんでしまった。
あれは、いつだっただろう。
楓の村に預けられて間もない頃だったと思う。
殺生丸と邪見と共に阿吽に乗って、たまたま人間たちの街道にさしかかったことがあった。
街道筋は縁日で、多くの店が並び、子どもも大人も皆、楽しそうに歩いていた。
そんな光景を見て、りんは思わず無邪気に口に出してしまったのだ。
「わあ!りんも殺生丸さまと一緒に、ああいう所を歩いてみたいなあ」と。
当然のごとく邪見から叱責されたが、りんも子どもながらに分かっていた。
あんなところに殺生丸さまが降り立てば、大騒ぎになってしまう、と。
殺生丸は妖怪の中の妖怪。
縁日で楽しめるのは、人間だからこそなのだ。
まあ、祭りの縁日の中には、まれに人間を狙う妖怪も交じっていることはあるにはあるが、殺生丸がそんな下賤な真似をするはずがない。りんとて、それを分らぬような道理のわからぬ子どもではない。
ところが次の日、殺生丸はりんの願いをいとも簡単に叶えてしまった。
一時的に姿を人間へと変え、りんを街道筋の縁日へと連れ出してくれたのだった。
あの時のなんとも面映ゆい心地を、りんは忘れることはないだろう。
道行く女たちは皆、惚けたように殺生丸を見つめて立ち止まったものだ。
それほどに、人間の姿になった殺生丸は、まあ一言で言えば美男子だった。
人間の姿になっても目立ってしまうことに違いはなかったわけだが、一目見て妖怪だと気が付いたものはいなかったに違いない。童だったりんと殺生丸は、年の離れた兄と妹のようにも親子のようにも見えていたことだろう。
それにしても、殺生丸がりんと縁日に行くために人間の姿になると知った時の、犬夜叉の顔は本当に見ものだった。今でもありありと思い出せて、りんは思わずくすくすと笑った。
飴を買ったり団子を食べたりしながら、殺生丸と共に道を歩き、店を覗いてまわる。
あまりに楽しくてうれしくて、はしゃぎすぎたりんは最後は疲れ切って、子供らしく殺生丸の背で寝てしまった。今、思い出してもほっこりとする幸せな思い出だ。
けれど同時に、りんは思い知ってしまったのだ。
殺生丸は、りんの願いならどのような願いでも叶えてしまう。
りんが望むものは、必ず。
あれ以来、りんは望みや願いを口にするときは、慎重にならざるを得なくなった。
普通の子どもならば、ありえないことではあるが、それほどに自分は特別なのだと自覚したものだ。
今宵は、七夕(しちせき)だ。
これも、りんが幼かったころに口にしてしまった願いがある。
大人になった今ならば、あんな道理の分からぬことは言わなかっただろうと思うのだが。
「七夕(しちせき)はね、バラバラに暮らしている織姫と彦星が一年に一度、逢える日なんだって。
天の川を渡って逢いにいくんだよ。だからね、晴れた星空の下でなければ、逢えないの。
その日に雨が降ると、天の川を渡れなくて、会えなくなっちゃうの。
だから七夕の雨は、涙の雨で『催涙雨(さいるいう)』っていうんだって。
大好きなのに、一年にたった一回しか逢えないなんて、辛いよね・・・」
いつもはただ、りんの話を聞いているだけの殺生丸が、あの時は珍しくりんに尋ねたのだった。
「・・・りん。お前なら、どうする」
りんは、答えた。
答えてしまった、というべきか。
「うーん・・・りんだったら、七夕の夜には、どんなことがあっても逢いに行くな。
それくらい、特別な日なんだもの。雨が降ってても、逢いに行くと思う。
だって、その日を逃したらまた一年間、逢えないんだよ。 そんなの悲しい。
だから、雨が降っても道が見えなくても、どんなことがあっても絶対に逢いに行くの。
好きだったら、それくらい出来ると思うんだけどなあ・・・」
殺生丸さまは、こういうことは絶対に忘れない。
りんが望んだことは、必ず叶えてしまう。
大人になった今なら、分かる。
人は皆、色んな事情を抱えて生きているものだ。
逢いたくても、逢いにいけない恋人たちは、それこそ星の数ほどいるに違いない。
りんだって、同じだ。
殺生丸が今どこで何をしているのかは、りんには分らないし、手伝うことすらできない。
・・・けれど、ここで帰ってくるのを待つことはできる。
幾重もの薄い幄に覆われた、二人の閨。
帳をかきわけて、りんはするりと夜具へと滑り込む。
柔らかな絹の夜具に身を横たえ、大きく息を吸い込むと、ほんのりと殺生丸の香りがした。
愛しい想いに浸りながら、一人でそっと目を閉じる。
空に傾く三日月は、あと一刻ほどで山に姿を隠すだろう。
本当の闇夜の中でこそ、満天の星の光は輝く。
夜空にまぶしいほどに散らばった光は、青い湖に落ちてまたたくだろう。
その頃、愛しい夫(ひと)はかならず戻ってくるはずだ。
今宵は、七夕だから。
そして、閨に寝ているりんに口づける。
褥から手を引かれて、りんは夜空へ連れ出されるに違いない。
昨年の七夕には、眩しいほどの星空を飛んだ。
その前年の七夕に、「来年は星空を一緒に飛びたいな」とりんが言ったからだ。
眼下には、青く静まり返った湖があった。
空の星が群青色の湖面に映り、上にも下にも星が瞬いていて、夢のようにきれいだった。
殺生丸の腕の中では、ついつい、りんは子供に戻ってしまう。
あまりの美しさに感動していたりんは、また昨年も、無邪気な子供のように思わず口に出して言ってしまったのだ。
「次は、あの星の光る湖の上を歩いてみたい」と。
だから、きっと今年の七夕は、あの星の輝く群青の湖面を歩くに違いないのだ。
殺生丸さまは、どうやってもりんの願い事は叶えてしまうのだから。
うとうとと瞼が落ちた頃、耳朶にやわらかな唇が触れて、低い声が流れ込んだ。
「・・・りん」
―――― 今年は、星の湖を歩きたいのではなかったか?
――――― ・・・おかえりなさい、殺生丸さま
――――――― 大好きよ、殺生丸さま・・・
りんは、手を伸ばす。
愛しい君の、願いを叶えるために。
りんの願いを叶えたい、という願いを、叶えるために。
イラスト 時子さま http://psychopomp.jp