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あやかしとむすめ

殺りん話を、とりとめもなく・・・  こちらは『犬夜叉』に登場する 殺生丸とりんを扱う非公式FANサイトです。

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薫衣香(くのえこう)

 

 

――――― 対屋に入ると、ふわり、と、衣に焚きしめられた伽羅(きゃら)の薫りがただよう。
白菊と呼ばれる、最上級のかぐわしい薫衣香(くのえこう)に、銀色の少年はほんの少し、その金色の目を細めた。


少年は、先日元服の儀を終えたばかり。
細く柔らかな銀色の髪は腰までまっすぐに長く、奴袴を着けていなければ、一見すると少女のようにも見える。
――― わたくしが育てた若君は、きっと誰よりも強く美しい妖になられる。
そう思い、乳母の霧姫は部屋の中央に立つ少年を見上げて満足げに微笑んだ。

「 殺生丸さま、今宵は重陽の宴でございます。宴の趣向に合わせ、衣紋は菊の紋に白菊の薫衣香(くのえこう)を
 焚きしめました。 ・・・・よろしゅうございましたか? 」

「・・・・何でも構わん」

興味がなさそうにそういう少年は、西国一の妖、闘牙王さまのたった一人のご子息だ。
闘牙王さまは周りが呆れるほどの子煩悩でいらっしゃって、殺生丸さまには幼い頃から数え切れぬほどの師をつけた。
今宵、乳母が用意した衣紋も薫衣香も、何でも構わん、と言いながらも、それが今宵の宴にふさわしいことは、十分に
理解している。
霧姫は部屋の隅に平伏したままの四人の侍女たちに、始めなさい、と声を掛けた。
侍女たちは、霧姫の声にもう一度深く平伏すると、無駄のない動きで動き出す。

――――― 貴人の着装を手伝う侍女の役職名を、衣紋者(えもんじゃ)という。

主の体に直接触れることのできるこの役職に就けるものは、広大な宮に数え切れぬほど多く侍る侍女たちの中で
ごくわずかだ。 見目、血筋、知性、すべてに申し分のない、選ばれし侍女だけがその役に就ける。
今宵のように、若君が正装を着ける際には、四人もの衣紋者がつく。
つまり、着替えは四人がかりで行われるということだ。
この侍女たちは西国各地の妖の長から差し出された一族の娘達で、粒ぞろいの美女ばかり。
己の娘を狗一族に差し出すことで絶対の忠誠を誓いながらも、当然のことながら親たちは皆、娘がこの若君の
目にとまることを望んでいる。
あわよくば、その落とし胤を得られれば、と。

・・・・だが、氷の君と称されるこの若君が、自らこの娘たちに触れたことは一度もない。

この娘たちにも、若君から寵を賜りたいという野心がないわけではない。
容姿端麗、血筋、妖としての格、品位、皆がそれなりの自尊心と野心を持って、この天空の宮へと側仕えにやってくる。
だが、触れれば切れそうなこの氷の君に己から近づく娘は、乳母の霧姫が知る限り皆無である。

理由は単純で、この殺生丸という若君は、己に不用意に触れる衣紋者を、容赦なく殺すからであった。
ゆえに、衣紋者の娘たちは決して若君に触れぬよう、細心の注意を払いながら装束を着けねばならなかった。
可哀想に、一番下位の四の衣紋者などは先ほどから、使われることのない髪結い紐が乗った三宝を捧げ持ち、
震えながら平服したままで一度も顔を上げていない。
彼女は先日、手を滑らせて若君に触れてしまい、即座に爪で切り裂かれた侍女の代わりにこの役に就いたばかりだ。 
この様子からすると、緊張というよりも、もはや怯えているといったほうがいいかもしれない。

装束を着けている侍女の張りつめた表情には若い娘にありがちな媚びや甘さなどは微塵もなく、それを乳母である霧姫は毎度の
ことながら、ため息をつきたくなるような思いで見つめている。
お父上やお母上のように、若君にも、もう少し配下を思いやるだけの余裕があってもよさそうなものだが、と。
闘牙王や御母堂につく衣紋者などは、着付けをしながら、その色よりもこの色の方がいいとか、本日はこちらの柄になさいませ、
などと主と軽口を言い合いながら、もっと楽しげに、そして誇らしげに仕事をしている。
この少年が精神的にそこまで熟成するには、あと数百年はかかるだろうが。


今宵は、この宮の主、闘牙王さまが主催される重陽(ちょうよう)※の宴である。                 ※旧暦の九月九日
陽と陽が重なるこの日は毎年、闘牙王さまの配下である各地の妖たちがこの宮に集い、菊花を漬け込んだ妖酒を酌み交わして、
一門の繁栄と互いの長寿を祈るしきたりとなっている。
いつもは宴席を厭う若君も、お父上からの直々の声掛かりがあり、参席することになった。
この若君は、お父上である闘牙王さまが申されることにだけは、乳母である霧姫が驚くくらいに素直である。
皆に氷の君などと呼ばれながらも、そういうところはまだまだ可愛らしい。

霧姫は、くすりと笑って口を開いた。

「 ・・・・殺生丸さま、今宵も髪をお結いにはなりませぬのか? きっと、お父上のようにたいそう凛々しくおなりでございますのに、
 もったいのうございますわ。元服式のお姿は、ほんに素晴らしゅうございましたのよ。 闘牙王さまも、お褒めになられておられた
 ではございませぬか 」

若君の流れる絹糸のような銀色の髪を梳き、結い上げるのは、乳母である霧姫の仕事である。
だが、櫛と結い紐を使ったのは、元服の儀式のたったの一度だけである。
衣紋者たちに胞を着けられながら、殺生丸はうんざりしたように、その金色の目を乳母の方へ向けた。

「 ・・・・何度言わせるつもりだ、霧姫。私は父上の真似をする気はない。元服など、一族のしきたりをこなしただけにすぎん 」

そして、切れるような鋭い金色の瞳にいらだちを覗かせて、己に着付けられている装束を見た。
その仕草に、衣紋者たちの手がびくりと震える。
だが、この少年が見ているのは己にとって空気のごとき衣紋者たちではない。

「 ・・・この装束とて、最近は人間どもが我らの真似をしているそうではないか。 元々は、我々天上に住める者の衣裳であった
 ものが、何故愚かな人間どもなぞに広まったのだ? 下賤の者どもが我らと同じものを纏っているなど、考えるだけでも忌々しい。
 そなたはそうは思わぬのか、霧姫 」

苦々しげな若君の言葉に、霧姫は鮮やかな扇をぱらりと開いて、苦笑を隠す。

「 下界の者どもが美しくなることは、少しも悪いことではございませんわ。 どうせ目にするなら、目を覆いたくなるような汚らしい
 人間たちよりも、少しなりとも見目麗しい方がよろしいではございませぬか」

「 くだらん。 そなたは人間どもに甘いのだ、霧姫」

若い殺生丸の言葉に、霧姫は苦笑せざるをえない。
人間たちが天上の我らの真似事をはじめた原因をこの若君が知ったら、どんな顔をするだろうか、と。

寧楽(なら)が都であった時分、唐様(からよう)だった人間たちの衣服は、都を京に移して以降、宮中を中心に劇的に変化した。
とくに、女人の装束の変化は著しい。 通称、十二単と呼ばれる衣装は、色目を美しく見せるためだけに何枚も何枚も衣を重ねる
ために、重く、長く、おおよそ地上で生きるにはふさわしくはない。
あんな装束をつけていては、非力な人間は歩くのがやっとであろう。
しかしそれは、うっかり人間の・・・それも帝の寵妃に妖の衣装を贈ってしまった闘牙王のせいなのだ。

いつだったか闘牙王が、たまたま地上におりたところに、娘のひどく泣く声が聞こえた。
気になった闘牙王は泣き声の漏れる屋敷を見つけると庭に降り立ち、なぜそのように泣く、と聞いてみた。
すると泣いている娘は「親の言いつけで、明日、好きでもない男と添わねばならぬのです 」と答え、「この先を生きていく甲斐など
ありませぬ。 妖さまよ、我を殺してたもれ」と更に泣いた。
闘牙王は妖とも思えぬ優しい笑みを浮かべて、人間のむすめにこう言った。

「 そのような寂しいことを申すでない、人の子よ。  そなたのような美しい女人がいなくなっては、私は地上に降り立つ喜びが
 なくなってしまう 」 

・・・そして、手元に持っていた衣裳を娘に一枚渡して去った。
「 そなたは若く、美しい。 きっと似合うぞ 」  優しげな微笑とともに、そう言葉を添えて。

闘牙王には、その姫にはさして深い思いは無かった。
たまたま、地上に降り立った時に、泣いている娘に出会っただけのこと。
そして、たまたま妻の為に誂えていた衣裳が手元に数枚あったから、その中の一枚を慰みに手渡した。
ただ、それだけのこと。

・・・・だが、人の娘は闘牙王を忘れなかった。
闘牙王から貰った天上の衣に、異常なまでの執着を示したのである。 そして、嫁いだ男・・・帝の寵愛を得ると、その権と財を
使って、それと同じ形の衣を何枚も何枚も作らせては、満たされぬ心の慰めにした。 
・・・・・女は、闘牙王から貰った衣を死ぬまで手放さなかったという。
その寵妃のせいで、帝を取り囲む宮中は一気に装束が様変わりし、まるで天上界のような色とりどりの衣裳に満ちあふれる
こととなった。

・・・・・殺生丸が生まれる前の話である。
わざわざ、侍女たちの前でこの話をすることもなかろう。
また折りをみて、殺生丸にはこっそり教えてやろう、と霧姫は扇で苦笑を隠す。
これだから父上は、と殺生丸の怒る顔が容易に想像できて、霧姫は、堪えきれずにくすくすと笑った。


対屋の外からは、宴の始まりを告げる笙の音が響いている。
銘木・白菊の高貴な薫衣香に包まれて着装を終えた殺生丸は、少年らしいまっすぐな瞳で庭の方をみて、霧姫に言う。

「 ・・・・父上が、お出ましになられる時刻だ。  ゆくぞ、霧姫。  遅れては申し訳が立たぬ」

「  はい。 ・・・でも残念ですわ、今宵こそは御髪を結えると意気込んでおりましたのに」

そう言いながら、着装の最後に、霧姫は豪奢な宝玉の埋め込まれた正装用の飾り太刀を殺生丸に手渡した。
殺生丸が欲しいのは、このような飾り太刀でないことを、この美しい乳母は知っている。
この少年が求めているのは、ただ、強さだけ。 ・・・・それも、覇道の。

「 くどいぞ、霧姫。 わざわざ髪を結うことに、何の意味がある」

そう言うと、銀色の少年は太刀を腰に差しながら歩き出す。輝夜姫のように美しい乳母を伴って。
霧姫がそっと対屋を振り返ると、四人の侍女たちが震えながら平伏していた。
さながら、氷で体の芯まで冷やされたように。

――――― 氷の君。

その心を溶かす相手ができるのは、さて、いつのことか。


長い渡殿の上をすたすたと歩いていく少年の後ろ姿に、霧姫は問いかける。

「・・・・髪を結いあげることがこの先も無いのなら、もうわたくしの役目はございませんわね、殺生丸さま。
  乳母はお側を去ってもよろしゅうございますか? 」

殺生丸は一瞬目を見開いて立ち止まったが、後ろを振り返ると、戸惑ったような表情で霧姫を見上げる。

「 ・・・・霧姫は、私が髪を結わぬのがそんなに気にいらぬのか?」

「 まさか 」

くすくすと、霧姫は笑った。 殺生丸がこういう子供らしい表情を見せるのは、乳母である霧姫だけだ。
そう思うと、この無慈悲な少年も可愛らしく見えてしまうから、霧姫は困ってしまう。

「 わたくし、宮を離れて、どうしても行きたいところがあるのです。殺生丸さまが一人前になられるまではと思っておりましたが、
 元服を終えられた若君に、もはや乳母は不要でございましょう?」

「・・・・・そうか」

わずかに目を伏せると、銀色の少年は意を決したように、口を開いた。

「 そなたには、長く世話になった。 ここを去って行きたい場所があるならば、行くがよい。 止めはせぬ 」
 
「 ありがとうございます、殺生丸さま 」

霧姫がにっこりと微笑んでそう言うと、殺生丸は宴の始まった庭をしばらく見ていたが、腰に差された飾り刀にふと目をやると、
小さく息を吐いた。

「 ・・・・霧姫、私はもっと強くなりたい。 この宮にいるままでは、いつまでも父上を超えられぬ。 今よりも強くなるには、 
 野へ下るのが一番早いだろう。 父上は反対なさるかもしれぬが、私は一度この宮を出ようと思う。 ・・・・霧姫 」

「 はい」

「 ・・・・私は、父上を超えられると思うか?」

無慈悲で冷酷で、この宮の若君は、氷のようだと称されている。
けれど、違うのだ。 乳母である霧姫は知っている。
無表情で冷淡に見えるが、それは表面だけのこと。 この少年の心の芯は、熱く燃える炎のよう。
そして、100年世話になった乳母には嘘をつけぬ、生真面目な一面ももっているのだ、と。

少年のまっすぐな眼差しに、齢1000年を超える乳母は微笑んだ。


「 ――― 殺生丸さま以外の誰に、それが叶いましょう」


乳母の言葉に生真面目な顔で頷くと、きびすをかえして殺生丸は宴の庭へと足を向けた。
霧姫はその後姿に深く一礼して、殺生丸の後に続く。
これがおそらく、霧姫にとっては最後の、宴への随行になろう。

美しい、銀色の髪。
一族の誉れであるそれを、結い上げたのはたったの一度。

あなたのその髪を、いつか誰かが結い上げる日はくるのだろうか。


(・・・・・・願わくば、どうか・・・)




――――― 願わくばどうか、いつかあなたの、その氷の檻を溶かす誰かが現れますように




銀色の少年の後ろ姿に、祈るように霧姫はその金色の目を閉じた。

宮の庭は、切なくなるほどに重陽の菊の薫りが満ちている。















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