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あやかしとむすめ

殺りん話を、とりとめもなく・・・  こちらは『犬夜叉』に登場する 殺生丸とりんを扱う非公式FANサイトです。

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信じる以外に、私に何ができようか

 


 


 


―――― 夜。


ガス灯の揺らめく街に、その酒場はあった。
店内の喧噪が窓から街路までもれてくるほどに、中は賑やかである。
流行りの煉瓦作りの壁にもたれ掛かった男と、襟を粋に抜いた着物姿の女が向かい合って何かを話していた。
洋装に帽子を深く被った男は、今はやりの新聞記者のような風体だが、帽子から流れる一つ括りの後ろ髪は、珍しい銀色である。だが、欧米人が行き交うこの街では、さして珍しい髪色でもない。
対して、女は見るからにこの街の粋な女風であった。流行の縞の着物を芸者風に着こなし、結い上げた黒髪が、抜けるように白いうなじを引き立たせている。側を通り過ぎる男たちが、何度もちらりちらりと振り返ってゆくほどに、その女は美しい。

だが、男を見上げる女の表情は明らかに腹立たしげで、そんな女に男は困りきったように帽子の上から頭をがりがりとかいていた。


 


 

信じる以外に、私に何ができようか

 


 


 


「・・・で、おめえの親父は、結局おまえには何も言わずに立ち去った、ってか」

男は、ため息混じりにそう言った。女の頬がぶっすりとふくらむ。

「ええ。宮に戻られたのも数百年ぶりでございます。それなのに・・・」

粋な芸者ふうの着こなしをしていても、正面から見ると、案外女の顔は幼い。16歳かそこらの少女のものだ。頬を膨らすと、幼顔が丸くなってますます幼く見える。ほんの少しつり上がった、黒目がちの大きな瞳がいらだちを隠さずに、きっと男を睨んだ。

「おばあさまのお話では、父上はこの地上のことをよく存じているとのことでございました。ですから、ずっとこちらで暮らしていらっしゃる叔父上ならば何かご存じかと思ったのですけれど。ほんっとーーーに、叔父上は何もご存じありませんの?父上はガス灯を間近で見てきたような話しぶりだったそうでございますわよ?ガス灯がある街は限られておりますわ。ここ横浜か、新橋、銀座、浅草」

ずい、と一歩踏み出して、女は男に詰め寄った。

「ですが、国外の人間が多いとなると、さらに限られますわ。我ら一族のような銀髪がさして珍しくないとなると、外国人の多い、ここ横浜」

「あのなあ・・・」

うんざりしたように、男は頭上を仰いだ。そのガス灯が、柔らかな光で闇を照らしている。

「ここ200年、あいつの名前はとんと耳にしてねえよ。人間からも、妖怪からもな。あんな派手な奴がどうやって雲隠れしてんのか、俺が知りたいくらいだぜ。俺だって、こう見えても人間に紛れるのは結構苦労してんだぞ。銀髪だけじゃねえ、耳もあるしな。同じ半妖でも外見はりんにそっくりなおまえには、この苦労は分からねぇと思うけどよ」

そう言われて、女は着物の袖を広げて己の姿を見下ろした。確かに、傍目からは、女は人間にしか見えまい。だが、顔は幼く見えてもこの女は齢数百年を超える半妖だ。
女は、目の前の困りきった表情の男を見上げた。この男は、父の異母弟。彼女の叔父にあたる。彼も、女と同じ半妖である。
白銀の髪にかくれた耳が、ひょこひょこと動いているのが、帽子の上から分かる。知らぬ者が見れば、その帽子の下に小動物でも飼っているのではないかと思うだろう。

「・・・叔父上は、父上と違って姿形を変えることはできませぬものね。まあ、わたくしも変化は出来ませぬが」

女の言葉に、男はため息をついて肩を落とした。

「あのなあ・・・。生粋の妖怪でもそんなことができる奴は少ねぇんだぞ。人型をとれる妖怪なんて、ほんの一部なんだぜ。俺も、おまえみてぇに見た目は人間そのもの、力は妖怪そのもの、なんて半妖に生まれたかったぜ。そしたらこんなに苦労しなくてすんだのによ」

男は苦笑した。女は、男にとっては姪に当たる。
この姪が生まれた頃のことを思い出すと、どうしようもないほどの郷愁にかられてしまう。それはもう数百年も前の話だ。仲間がいて、愛しく大切な存在が、いつも隣にいた。失ったことを思い出すのが耐えがたいほどに辛かったのは、いつくらいまでだっただろうか。尖った石が川の流れの中で磨耗し、やがてすべらかな小石になるように、伴侶を失った孤独と悲しみは、何度も繰り返し訪れる中で、数百年をかけて少しだけ彼に優しくなった。
どうあっても、共に過ごした時を、あの温もりを、忘れることはできない。ならば、その孤独と悲しみは、生きている限り付き合っていくしかないのだ。
そう思えるようになったのは、いつだっただろうか。
犬夜叉には、どうしても目にしたい光景がある。
かごめは、500年先の世界から彼に会いに来てくれたと言っていた。
その500年まで、あと少し。・・・あと少しなのだ。


つい十数年前のことだ。
鎖国していたこの国に、外国人が蒸気船でやってきた。
その外国人の洋装をたまたま目にして、犬夜叉は目を見開いた。
船で働く彼らのーーー水兵の服装が、出会った頃のかごめが来ていた「制服」と酷似していたのだ。
着物しかなかったこの国の服装が、変わりつつある。
人間たちの街の中には、かごめの世界で見たことのある洋服がちらほらと現れ始めた。
洋服を着ているのはまだ外国人ばかりだったが、これは、今まで過ごしてきた数百年の間で初めてのことだ。
犬夜叉は戦慄した。近づきつつあるのだ。かごめの生まれ育った時代が。


――― もう一度、かごめに会えるのか・・・?


そう、思った。
たとえ会えたとしても、彼女に接触するわけにはいかないだろう。
そんなことをすれば、過去へと繋がるすべてが崩れてしまうかもしれない。
言葉を、交わすことすら叶わないだろう。
それでも、遠目からでもいい。・・・かごめに、逢いたい。
今まで抱き続けた、たった一つの望み。


心は、揺れた。
けれど、彼は今、緋色の着物を脱ぎ人間たちに紛れて暮らしている。外国人の多い、この街で。
この想いの深さと苦しさを、姪に分かってほしいとは言わないが、半妖の身で人間の中に紛れる大変さだけでも察してほしいとは思う。
犬夜叉は苦笑しながら、むくれた表情の姪を見下ろした。りんにそっくりな姪。
りんを失ったあと、殺生丸が突然姿を消してしまったと、この姪から聞いたのは、もう数百年前になるだろうか。
犬夜叉には、何となく分かる。血のつながりは半分だけだが、殺生丸とは妙なところで不器用さが似ている自覚がある。

「あいつが、あの空に浮かんだ城まで帰ってきたのに、お前に会わずに出ていっちまったのは・・・まだお前の顔を見るのが辛いからなんだろうな。あいつは、そんなこと口には出さねえだろうけどよ」

「分かっておりますわ。わたくしは、母上に瓜二つですもの。父上にとっては目にするのも辛い存在なんでしょうよ」

ぶすっとした表情で、姪は肯定した。

「だからって、数百年も会ってくれないなんて、どうかしてますわ。わたくしは母上ではありません。実の父と娘ですのに・・・」

最後は、少し語尾が揺れた。

「父上の「時」は、母上が居なくなってから止まってしまっているのです。いえ、父上自身が止めておしまいになったのだわ」

犬夜叉は、がりがりと頭をかく。

「おい・・・泣くなよ」

「長子の努めと思い、我ら一族の血をひくものの世話をあれこれ焼いてきましたけど、肝心の父上から拝謁もお言葉も賜われないのでは、この身が報われません」

「拝謁にお言葉・・・なぁ」

犬夜叉はくるりと目を回す。父親に会うのはそんな大層なもんだろうか。犬夜叉には相変わらずこの感覚は理解できない。

「父上に会えたら、ご相談したいことが山のようにあったのです。叔父上だってお気づきになられているでしょう?最近、妖の力が弱まってきてることに」

「ああ・・・まあな」

「我らの一族とて、無関係ではありません。狗の血が薄いものたちにはもう、妖の姿が見えなくなりつつあります」

「みたいだな。だからって、どうしようもねえんだよなあ・・・俺ができることなんて、たかが知れてる」

犬夜叉は、街の向こうの闇に目をやった。
大昔は、永遠に光り続ける灯りなどなかった。蝋燭に灯した明かりは風が吹けばあっと言う間に消えたし、夜の闇の中では、圧倒的に人間よりも妖の方が強かったのだ。
だが、この世界の均衡は変わりつつある。それは、犬夜叉も肌で感じている。
この街でもそうだ。このガス灯のせいで、街の闇に住み着いていた小さな妖たちは力を失い、消えてしまった。
この国の中で、力の淘汰が始まっているのだ。それも、軍配は人間側にあるらしい。

「まあ・・・俺みたいな中途半端な存在には、何が理由なのかとかハッキリしたことは分からねえ。けどよ、人間と妖怪がやり合うなんて、もうそんな時代じゃなくなった、ってことじゃねえのか?」

「・・・複雑な気持ちがいたします。わたくしも、半妖ですから。しかし、父上には何か深いお考えがあるのではないでしょうか。だから、下界で姿を消してしまわれ・・・」

難しい顔をして眉を寄せた姪のおでこを、犬夜叉はぴん、と弾いた。

「いたっっ!」

きっと睨んだ姪のほっぺたを、ぎゅう、と延ばす。

「な、なにほなはるのですかっ」

涙目になった姪を見ながら、犬夜叉は久しぶりに声をあげて笑った。

「ははは。おまえは真面目すぎんだよ。そんな難しいことばっかり考えてねえで、良い男の一人や二人、そろそろ見つけたらどうだ?そしたら、お前の親父や俺がこんなバカみたいなことをやってる気持ちも少しは分かるってもんだ」

「まぁぁっ!!!いくら叔父上とはいえ、許せませんわっ!!わたくしが一番気にしていることを!!!」

赤くなった頬を押さえながら、姪は叫ぶ。
そばを歩いている男たちが、ちらちらとこちらを振り返った。
この姪っ子の唯一の弱点だ。彼女は、まだ恋をしたことがない。
犬夜叉は声をあげて笑った。以前より大人びた犬夜叉の表情に、ガス灯の光が優しく落ちる。

「りんは15歳でおまえを産んだんだぞ? おまえも一族の子供のことばっか考えてねえで、自分の幸せも考えろよ。ああ、あとさ、いい加減やめてくんねぇかな、その「叔父上」っての。背中がムズムズすらぁ」

頬を赤くした姪っ子は、ぷいっと横を向く。

「犬夜叉さまを「叔父上」と呼びなさいというのは、母上の言いつけでしたのよ。これだけはやめるわけには参りません!」

つん、と横を向いた姪に苦笑すると、犬夜叉は姪の向こうに懐かしい景色を見る。かつて、こうやって、下らぬことを言い合える仲間がいた。
もう帰れない、あの頃。

「・・・・あのさ」

「なんですっ」

若干切れ気味に見上げた姪は、どこか遠くを見ている叔父の表情に、ドキリとする。
この叔父は、こんな表情をする人だっただろうか。

「・・・信じて待つ以外に、どうしようもねえんじゃねえのかな・・・あいつもさ」

「信じて・・・待つ?」

「俺は、待ってるんだ。あと100年くらいしたら・・・多分、武蔵野の神社にかごめが生まれるはずなんだ。それを、待ってる」

「かごめさまが・・・?」

「ああ。かごめは今から100年先の未来に生まれて、500年前のあの時代に来てくれたんだ。だから、この先の未来には、俺と出会う前のかごめがいるはずなんだ」

穏やかに、こんなことを話せるようになった自分に、犬夜叉は心の中で苦笑する。昔の自分だったら、こうはいかなかっただろう。絶対に、他人に触れてほしくはない、心の奥底のみっともない願い。
けれど、今はもうそれが、自分の唯一の存在意義になってしまった。
そう自覚したのは、火鼠の皮衣に腕を通さなくなった時だろうか。
妖怪と人間が戦うような世の中ではなくなってきている。それは、犬夜叉にとっては優しくも残酷な、自分の存在意義を問う時代の始まりでもある。

「・・・たとえかごめに逢えたとしても、話しかけたら、歴史が狂っちまうかもれねえ。だからただ、遠くから見てるくらいしかできねえだろうよ。それでも俺は・・・かごめに一目逢いたい」

「叔父上・・・」

信じられないものを目にしたような表情の姪っ子に、犬夜叉はもう一度、ぴん、とおでこを弾いた。

「――― っ!」

「だから、おめえも恋をしてみろよ。そしたら、分かるって。こういう、バカみたいなことをやるヤツの気持ちがよ」

こんどは何も言い返さずに、姪は下を向いてしまった。
少しつり上がった大きな黒い目に溜まった涙が、ぽたり、と落ちる音がする。
犬夜叉は夜空を見上げて、目を細める。

「・・・・殺生丸も、りんを待ってるような気がするんだ。それが、りんの生まれ変わりなのか、そんなことは俺には分からねえけどよ。「また逢える」って信じること以外に、できることってねえんだよな・・・」

「・・・父上は、辛くは・・・ないのでしょうか・・・。叔父上は、辛くは・・・ありませんか」

やっとの思いでそう聞いた姪に、犬夜叉は優しく笑う。


「・・・それが、俺たちにとっての「人間を好きになる」ってことなんだろうぜ」


ガス灯の柔らかい光の下で、光る蝶が舞い、金色の燐粉を散らしていた。
その下を、シルクハットの男性が数人、通り抜けていく。
この妖蝶も、もう人には見えていないらしい。


彼らの逢瀬の時が満ちるまで、あと、少し―――――・・・ 。


 


 


 


 


 


・・・信じる以外に、私に何ができようか


 











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