殺りん話を、とりとめもなく・・・ こちらは『犬夜叉』に登場する 殺生丸とりんを扱う非公式FANサイトです。
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妖の里に、初春を告げる伸びやかな鶯の鳴き声が響いている。
詠月は薬の調合を書き留めていた筆を止めて、深い紫色の目を閉じ、耳をすます。
「 ・・・・うぐいすの 鳴きつる声にさそはれて 花のもとにぞ 我は来にける・・・か」
父親の形見である古い書物にあった歌を呟いて、ゆっくりと目をあけた。
診療所の窓から見事に咲いた庭の紅梅の木を見上げると、眩しそうに目を細めて花を眺める。
「・・・庭に咲いた花を愛でてやるのも、主の勤め、か 」
詠月は、ふう、と一息つくと筆を置き、ぐぐっと背伸びをして一つ、あくびをした。
昼間の明るい光を入れるために、文机の側の窓は天気のいい日は開け放っている。
外からは、上品な紅梅の薫りがほのかに漂ってくる。
まだ肌寒い、浅い春の光の中で、庭に降り立った鶯がもう一つ伸びやかな鳴き声をあげた。
ほ―― う ほけきょ
三つ目の医師は、いかにもくつろいだふうに猫背で文机に頬杖をつき、見事な鳴き真似で、鶯の鳴き声を真似た。
ほ―――― う ほけきょ
動物の鳴き真似は、医師の仕事以外に詠月が持つ、数少ない特技でもある。
庭の鶯は、どこに声の主がいるのかとあたりをきょろきょろ見渡し、首を傾げる。 その様子が可愛らしくて、
詠月はくすくすと笑った。
「 なあ柚月、見てごらん。 鶯が来ているよ。 稗か粟か、蒔いてあげようか」
そう言った詠月の背後は、しん、としている。
いつもなら柚月が、詠月のこういう一言を聞き漏らさず、「 もう春ですわねえ、兄さま 」と言いながら、
餌を準備してくれる。
詠月も柚月も、この医王庵の庭にやってくる鳥や動物が大好きなのだ。
詠月は、しんとした背後に、あれ?と思ったのちに、ああ、と気が付いて立ち上がった。
庭に蒔くエサは、己で水屋まで取りに行かねばならなかった。
柚月は今、殺生丸さまの愛妻、りんさまのお里帰りに付き添って、人里へ赴いているのだ。
りんさまはお腹に御子を宿されて、先日ようやく半年を過ぎられた。
初めての御子ということもあり、詠月と柚月はかなり気を張って様子を伺っていたが、安定期に入ってからは、
激しかった悪阻からも徐々に抜け出され、今月からはずいぶんと食欲も回復された。
一般的にその時期に、人間の女たちは皆、産土神のもとへ参じ、安産の願立てをするらしい。
りんさまもその習慣にならい、殺生丸さまにお里帰りの願いを申し出られた。
どうしても育ての親ともいうべき巫女さまにお祓いをしてもらいたいのだ、と。
この妖の里では、母親が子を身ごもる長さや産屋は、その者によってまちまちだ。
人が河童の子を身ごもれば、産屋は川の浅瀬ということになるし、カラス天狗の子を身ごもれば、生むのは
赤子であったり卵であったりする。
母親は生まれてくる子供に合わせて準備をせねばならず、だから人里のように、判を押したように皆が等しく、
戌の日に産土神に参じて安産を祈願するような習慣はない。
だが、人里で育ったりんさまは、この安産祈願をしていないことを、ずいぶんと気にかけておられた。
小梅と小竹の話によれば、殺生丸さまは当初、りんさまのお里帰りにはあまり気乗りされてはおられなかったらしい。
・・・とはいえ、殺生丸さまがりんさまのたっての願いを無視されるはずがない。
結局、邪見殿と柚月が人里まで同行することを条件に、殺生丸さまは三日間のお里帰りをお許しになられた。
道中の安全を考えて、先日賜った殺生丸さまのお母君の衣を纏い、人里近くまで殺生丸さまもご一緒されるとの
ことだから、まあ、安全面はほぼ問題ないと思っていいだろう。
邪見殿はずいぶんと愚痴をこぼしておられたが、お子を身籠られてからは殺生丸さまはより一層、りんさまに
甘くなられたのだそうだ。
( むしろ、心配なのはりんさまよりも、柚月の方なんだよな・・・)
そう思いながら、詠月は裸足で、診療所の中を歩いていく。
庭の陽の届かない屋内は、まだまだ、冬の空気が残っている。
柚月がいない医王庵は、いつもよりずっと冷え冷えとして、しん、としていた。
里の者たちも、柚月がりんさまのお里帰りに付き添っていることは知っている。
昨日今日と、ずいぶんやってくる患者が少なかった。 普段、たいした怪我でも病気でもないのにやってきては
世間話をしていく老妖たちも、少しは遠慮しているのだろう。
この狭い庵もずいぶん広く感じる、と詠月は苦笑した。
明日、柚月が帰ってきたら、きっとまた大勢の老妖たちが押し寄せることだろう。
ひんやりとした水屋に入り、年季の入った桐箱をぱかりと開けると、手を差し込んで、ほんの少しだけ穀物を握る。
この桐箱から、米や麦、粟や稗などの穀物が無くなったことはない。
詠月や柚月に助けられた人間や妖たちが、皆、この医王庵に礼のつもりで置いていくのだ。
長い兄妹二人暮らしの中で、飯を炊くのはいつも柚月の役目で、彼女はいつも二人で食べる量の3倍は飯を炊く。
二人が食べる分以外は、握り飯にして病気の妖に持って行ってやるのだ。
握り飯には年神の霊力が宿っているから、弱った妖や精霊たちにはまたとない力の源となる。
詠月は、里にいる患者の数を数えながら握り飯を握っているときの柚月の優しい表情が、一番好きだ。
たった三日といえども柚月と離れて暮らすのは初めてで、詠月は妹のいない医王庵を見渡して、小さなため息をついた。
「・・・おまえがいないと、やはり寂しいのかな、俺も 」
この空間が広く感じられるのも、空気が冷え冷えとしているのも、きっと気のせいではない。
それだけ、柚月という存在が、詠月にとって大きかったということなのだろう。
ふと、はるか昔に他界した父と母の顔が浮かんだ。
誰よりも、何よりも一番に患者のことを考えて日々を送っていた、心やさしい両親。
父は人間でありながら、妖であった母と共に生きるために、人里での生活を捨てたのだという。
それでも、詠月の知る父はいつも幸せそうな顔をしていた。
「・・・・・人里、か。 どんな里なのだろうな 」
ぽそりと一人ごちながら庭側の部屋まで戻り、窓からぱらぱらと穀物を蒔いてやる。
梅の木の枝にとまっている鶯は用心深く詠月の様子を伺っていたが、しばらくすると庭の土の上に降りたって、
穀物をついばみ始めた。 くすんだ淡い緑色のふっくらとした体が、とても可愛らしい。
詠月は再び文机の前に猫背で座ると、稗をついばむ鶯を頬杖をついて眺め、二日前の旅立ちを思い返した。
「・・・・こんな衣裳みたら、楓さまびっくりしちゃうだろうなぁ・・・。村の人も、腰抜かしちゃうよ」
ため息をつきながら自分に着せられた衣装を見下ろしているりんさまに、柚月はキリリと表情を引き締めて、
「 何を仰います、りんさま。 りんさまは殺生丸さまの奥方さまなのでございますよ。 堂々としていて下さいませ」
などと、かなり緊張した面もちで申し上げていた。
兄の詠月からみても妹の柚月はしっかり者なのだが、さすがに旅立ちの前夜は緊張で眠れなかったらしい。
綺麗な薄紫色の瞳の下には、うっすらとクマが出来ていた。
この里には、闘牙王さまが作られた複雑な結界が張ってある。
結界を自由に越えられるのは、詠月と柚月だけだ。
けれど、この里から詠月と柚月が一緒に出るのは、決まって年に一度だけだ。
里で作られる妖の薬を、御母堂さまの元まで納めにいくときだけ。
しかもその時は、天空の宮からわざわざ迎えの妖獣がやってくる。
それに乗っていれば自然と天空の宮まで着くわけで、行きも帰りもどこかに立ち寄ったりすることはない。
つまるところ、詠月も柚月も生まれてこのかた、この里から出て人里へ入ったことがないのである。
200年もそういう生活をしていると、人間だけが暮らす里、というだけで二人にとっては完全に異世界だ。
人里に住む人間は、皆、髪も瞳も黒い。 ・・・・もちろん、目は顔に二つしかない。
幼い頃、父親から、人間にはそれが当たり前なのだよ、と聞いたときには詠月も柚月も正直驚いた。
生まれたときから妖怪たちに囲まれて育った二人の兄妹には、里の住人が皆、同じ容貌をしているということのほうが
不思議に感じたものだ。
たまにこの妖の里にも救いを求める人間はやってくるが、皆、この里の住人を見て、一様に最初は恐怖の表情を示す。
内情が分かってくればむやみに妖を怖がることもなくなるけれど、それだけ、人間にとってはこの里に住む妖怪や半妖は
恐ろしいということなのだろう。
――――― 子供を産む前に、一度、里帰りをしたいの。
りんさまから、そう打ち明けられた時に、柚月は迷わず己も一緒に人里へ赴くことを決めた。
柚月は、りんさまの御典医のようなものだ。 妊娠が分かって以来りんさまの御体には人一倍気を使っていたし、
里に残ったところで気が気ではないだろう。
柚月の性格から考えれば、当然の選択といえる。
だが、旅立ちの日が近づいてくると、柚月は誰もいないところで一人でこっそりとため息をつくことが増えた。
人里には、妖はいない。 もちろん、目が三つもある人間もいない。
きっと、不安だったに違いないのだ。
・・・・柚月の銀鼠色に近い髪の色と、薄い紫色の三つ目は、さぞかし人間だけの里では目立つことだろう。
詠月は、ため息をつく。
「 我らは、半妖・・・・か 」
りんさまは、人里での暮らしを我らに色々と教えてくれた。
人間だけの暮らしをしていると、妖怪はとても目立つ、ということ。
人間は、妖怪を恐れている、ということ。
「 妖怪を怖がらないりんは、人里では変わり者だったんだよ 」
りんさまは、懐かしそうに笑いながらそう仰られた。
「 でもね、楓さまの里はちょっと特別だったと思うんだ。 りんのそばには半妖の犬夜叉さまもいたし、犬夜叉さまと
夫婦(めおと)になられたかごめさまもいたし、あの里の人たちは、他の里の人ほど妖怪を怖がってはいなかったような
気がするの。 悪い妖怪は、弥勒さまや犬夜叉さまが倒してくれるから安心だし。 ・・・だから、殺生丸さまみたいな
大妖怪がりんに会いに来ても、きっと、見て見ぬふりをしてくれてたんだと思うの。 他の人里だったら、りんは妖怪に
憑かれた危ない子だって言われて、きっと里から追い出されてたと思うなぁ。 ・・・・人は皆、妖怪が怖いの。
りんには、妖怪よりも夜盗のほうがよっぽど怖かったけどね」
「まあ・・・。 では、りんさまのお里は本当に特別だったのですね」
りんさまの言葉を聞いて、柚月は少しだけほっとしているように、詠月には見えた。
「 赤ちゃんを産む前に、神様にちゃんとお参りしておきたいっていうのもあるんだけど、今度のお里帰りで、楓さまや
犬夜叉さまやかごめさま、弥勒さまに珊瑚さま・・・・・・皆に、ちゃんと伝えたいの。 りんは、元気にしてますって。
心配はいらないよって 」
「・・・・りんさまにとって、人里の方々はどういう方たちなのですか?」
柚月がそう問うと、りんさまはにっこりと笑ってこう仰った。
「 んとね、りんのことをよく分かってくれてる、とっても大切な人たち・・・かな。 きっと、心配してると思うんだ 」
「・・・・私も、おまえが心配だよ、柚月 」
稗をついばむ鶯を見ながら、詠月は一人窓際でぽそりとそう呟く。
医王庵の中で、毎日当たり前のように自分に寄り添ってくれていた柚月。
妹だから、この里を作った両親を見て育ったから、だから当たり前に私のそばにいてくれたのだろうか。
「 ・・・・お前がいないここは、静かだ」
柚月ひとりがいないだけで、この庵はこんなに静かで、冷たい。
200年も一緒にいたのに、そんなことにすら気がつかなかった。
いや、いつも一緒にいてくれたからこそ、気がつかなかったんだろう。
「 ・・・・柚月も、りんさまのように好きな妖ができたら、ここから出ていくのかな」
ありえないことではない。
両親だって、そうやって出会ったのだ。
父は母に出会って、人里での暮らしを捨てた。
相手が妖とも限らない。
もしかしたら今赴いている人里で、人間と、そういう出会いがあるのかもしれない。
心を動かされる出会いなんて、いつ、どこにあるか分からないものだ。
もしも・・・・本当にもしも、柚月がそういう相手と出会ったなら。
共に生きていきたいのだと、そう願うのだとしたら。
詠月は、そのときは笑って、兄として妹の幸せを祈ってやらねばならないのだろう。
そう思うと、心の中にとてつもなく大きな穴が開いたように感じた。
生きたまま、片腕をもがれるような痛み。
「・・・・・・柚月」
ふわり、ふわりと、梅の花びらが窓際に舞いおちた。
柔らかで上品な梅花の香りが、鼻腔をくすぐる。
・・・・どうしてだろう。
・・・・・・切ないくらいに、胸が痛い。
詠月は眉を寄せて、そっと紫色の瞳を伏せた。
「・・・・早く帰っておいで、柚月。 お前がいなくては、私は寂しいらしい」
庭のうぐいすは、いつの間にか春の空に飛び立ったらしい。
今は遠く、その伸びやかな鳴き声を響かせていた。
春浅し、恋 ・・・・詠月・・・・
詠月と柚月(イラスト)