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あやかしとむすめ

殺りん話を、とりとめもなく・・・  こちらは『犬夜叉』に登場する 殺生丸とりんを扱う非公式FANサイトです。

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神成りとむすめ<4>



 

闘牙王から狗神の御印を譲り受け、ゆっくりと目を開けた殺生丸がたたずんでいたのは、
白い雲の上の世界だった。

神成りの道・・・あの不思議な液体の満ちた池の場所には、ぽっかりと穴が空いていた。
穴の下には空が広がり、流れる薄い雲の向こうにうっすらと下界が見えている。

殺生丸は金色の目を細めて、青い空に燦然と輝く太陽を仰いだ。

・・・・・どうやらここは、現実の雲の上らしい。

 

 

 



神成りとむすめ<4>





拍手[67回]

・・・殺生丸の体に、今まで感じたことのない力が漲っている。

その力こそが、どんなに越えようとしても越えられなかった父の力の根元だったのだろう。
殺生丸は溢れてくる不思議な力を確かめるように、己の手のひらを見つめた。

・・・かつて、この手は刀を持つためにあるのだと信じていた。・・・・疑いもせずにだ。
冥界でりんの命を失ったとき、生まれて初めて愛しい命が消えゆく悲しみと恐れを知った。
己の愚かしさに気付き、刀をこの手から取り落としたのだ。

・・・この手は愛しいものを抱くためにあったのだと、私は知った。

そしてまた、この手は役目を担ったのだ。

(・・・・・父上・・・・)

もう、あなたはあの金色の美しい光へと生まれ変わられたのだろうか・・・。

そう思って目を細め空を見上げた殺生丸に、低い声が響いた。

「・・・・殺生丸さま」

殺生丸が振り向くと、そこには微笑みを浮かべた件(くだん)がいた。

「見事な神成りでございました、殺生丸さま。 
 心よりお慶びを申し上げまする。
 遙かな命の巡りへ魂を乗せられた闘牙王さまも、天空の宮で見守っていらっしゃった
 奥方さまも、さぞやお喜びでございましょう。
 その穴の下は、もう出雲の大社(おおやしろ)でございます。
 ここはもはや、あの時巡りの香炉の中ではございませぬ。
 殺生丸さまは神成りの道を通られ、出雲の空の上まで参られたのでございます。
 この穴より下界へ下られ、このまま神議りにご参列下さいませ。
 下界では、すでに神迎えの準備が整っておりまする」

件(くだん)の言葉を聞いて、殺生丸は眉を寄せた。
出雲の神議りの初日までは、かなり日数の余裕を持って母を訪ねたはずだった。

「・・・どういうことだ。 あれから、何日経った」

件(くだん)は、ちりん、と鈴を鳴らして少し考える。

「・・・殺生丸さまが神成りに要したのは、およそ十日間でございます」

件(くだん)の言葉に、殺生丸は思わず舌打ちをしたくなった。
そんなに長い間、あの世界の中にいたとは思わなかった。

結局のところ、殺生丸は闘牙王が出雲でどのように狗神の責務を果たしていたのか
実際には知らぬままだ。
それゆえ、今まで代理で出雲へ赴いていたご母堂に、神議りとはいかなるものなのか、
事前に聞いておくつもりだった。
狗神の御印は受け継いだものの、神々同士の議り事がどんなものかは全く想像がつかない。

「・・・・翁はどうした」

殺生丸がそう聞くと、件(くだん)は微笑んだ。

「あの翁は、時巡りの香炉の中に住む妖。
 翁が先導できるのは、神成りの道の出口まででございますゆえ、この先は出雲の神議りが
 無事に終了いたしますまで、私がお供をいたします」

思いもよらぬ答えに、殺生丸は怪訝な顔をした。

「・・・神議りに行くのに、妖が供につくのか?」

殺生丸の問いに、件(くだん)は穏やかな笑顔を浮かべる。

「八百万の神々は、皆、神議りへは神使を供に従えてお越しになられます。
 殺生丸さまが私をお連れ下されば、神議りの間、私は一介の妖ではなく、
 神のしもべ ・・・ 神使となります」

「神使だと・・・?」

「はい、神に従い、お仕えするのが神使の役目にございます。
 神議りに参られる八百万の神々とて、万能の神ではありませぬ。
 そうですね、例えば・・・山の神である大山咋神(オオヤマクイノカミ)などは、
 山々を司る強大な力をお持ちの神でありますが、実は水が何より苦手で、
 救いようのないカナヅチでいらっしゃいます。
 この神は以前、川で溺れて流されてしまったことがあるそうで、
 それ以来、常に亀の神使殿をお側に従えていらっしゃいます。
 他にも、豊作を司る稲荷神は人間たちから非常に崇敬されておりますが、
 鬼や妖から襲いかかられても、戦う力は全くと言ってもいいほどありませぬ。
 それゆえ、社には戦う力を備えた強き神狐を従えているのが常。
 このように、八百万の神々の多くは、己の手足となり働く神使を常に従えておるのです。
 出雲の神議りには、その神使のうち二名までの随行が許されています。
 私はかつて、妖の戦に巻き込まれて命を落としそうになったところを闘牙王さまに
 お救いいただきました。
 私の先見の力を欲する者は多くおりましてね。
 闘牙王さまがあの香炉へと導いて下さらなかったら、今頃は悪鬼どもの腹の中に
 納まっていたことでしょう。
 以来、私は命の恩人である闘牙王さまへのご恩に報いるべく、年に一度、出雲の神議りの
 神使として随行のお役目を果たして参りました。
 闘牙王さまがお亡くなりになられてから後は、闘牙王さまの代理として出雲へ赴かれる
 奥方さまに付き従ってまいりました。
 狗神の御印が受け継がれた殺生丸さまが、今日よりは私の主にございます。
 ・・・さあ、どうぞ、お乗り下さいませ」

「・・・・・」

殺生丸は前足を折り身を屈めた件(くだん)をしばらく見下ろしていたが、
やがて件に近づくと、あの香炉の中の世界に来たときのように、ふわりとその背に乗った。

日本中の神使を集めたとしても、未来の見える神使などそうそうはおるまい。
殺生丸とて、神々を相手にした議りごとなぞ初めてだ。
その点、先見が出来る妖がそばに控えているのは便利であることには違いない。

「出雲の社では、そろそろ神迎えが始まる頃です。参りましょう」

件(くだん)はそう言うと、足下からふわりと宙へと浮いた。
美しい大妖を乗せ、ぽっかりと雲にあいた穴を通り、件はゆるゆると下界へと降りてゆく。
四本の足元に雲を湧かせ、空をゆっくりと飛ぶさまは、まるで刀々斎の三つ目の牛のようだ。
空を飛びながらも件は話し続けた。

「神議りと申しましても、八百万の神々にとっては年に一度開かれる酒宴でもあるのです。
 七日間執り行われる神議りのうち、前半は酒宴三昧でございます。
 されども酒宴の中で神々同士、あれこれと決められることも多うございます。
 たかが宴と気は抜けませぬ。
 中には住み慣れた社恋しさに、酔った勢いで前半の宴だけで郷里へ帰ってしまう神も
 おりますゆえ、お気をつけ下さい。
 闘牙王さまも奥方様もそれは酒にお強うございましたが、殺生丸さまはいかがで
 ございましょう?」

件(くだん)が問うと、一拍後に不機嫌そうな声が降りてきた。

「・・・・・・弱くはない」

・・・・・弱くはないが、差しつ差されつの酒宴がつとまるほど、器用な性格でもない。
そもそも、殺生丸にとって酒とは誰かに注がれるもので、誰かの為に注ぐものではなかった。
・・・酒席の作法を知らぬわけではないが、何日にも渡ってそのような酒宴に付き合わねば
ならないのは、殺生丸にとって苦痛以外の何でもない。
ぶすっとした主の様子に苦笑しながらも、人の顔をした牛の神使は続ける。

「ああ、それから、連日に渡り建雷神(タケミカヅチノカミ)という神が、酔っ払って
 神相撲を挑んでくると思いますが、これは決して相手をしてはなりませぬ。
 殺生丸さまもご存じとは思いますが、建雷神は国譲りの際に、あらゆる国津神たちに
 相撲で競り勝ち、この国の支配権を天津神の手へと導いた神でございます。
 あの神の相撲には決して勝てませぬ。
 ・・・以前、闘牙王さまもしつこく言い寄られて一度手合わせされましたが、
 こっぴどく負けられましたゆえ、殺生丸さまもどうぞお気を付け下さいませ」

「・・・・馬鹿馬鹿しい、相撲などするか」

ますます不機嫌になった殺生丸の声を聞き、思わず件(くだん)は声を立てて笑ってしまった。
確かに、闘牙王さまは相撲に興じていても全く違和感がなかったが、
息子であるこの美しい妖が相撲をしているところは想像がつかなかった。
それにしても、着くまでに伝えねばならないことは、まだまだたくさんある。

「それから、岩長姫(イワナガヒメ)という女神にもお気をつけください、殺生丸さま。
 かの女神は長寿を司る神であらせられますが、その岩のような見た目が災いして、
 いまだにどの男神とも一度も婚姻が相整いませぬ。
 殺生丸さまの麗しさは十分にあの女神の求愛の対象となりましょう。
 あの女神の嫉妬心と求愛の凄まじさはどの男神も恐れるところです。
 少々冷たくあしらわれるくらいが丁度良いでしょう。
 闘牙王さまの奥方さまはその美しさ故、出雲へ赴く度に岩長姫の強烈な嫉妬の対象と
 なってしまっておいででした。
 まあ、あの奥方さまはそれすらも・・・」

「・・・・どうせ母上は鼻で笑っておったのだろう」

「・・・・はあ・・・まあ・・・」

件(くだん)は困ったようにため息をついた。

「奥方さまは実に好戦的というか、何というか・・・。
 岩長姫とは顔を合わせる度に、盛大な嫌みの合戦を繰り広げられておりましたな・・・。
 近年は周りにいる神々が、巻き込まれてはたまらん、と逃げ出すほどでございましたから、
 あのまま奥方さまが闘牙王さまの代理として赴かれておりましたら、いつかは岩長姫の
 怒りが爆発していたに違いありませぬ。
 殺生丸さまが正式に狗神として代替わりされて、本当に良うございました・・・・」

件(くだん)はちりちりと鈴を鳴らして首を振り、大きな溜息をつく。
奥方は嫉妬を剥き出しにする岩長姫を挑発してはからかい、完全にそのやりとりを楽しんで
いらっしゃったが、正直、付き従う神使としては、たまったものではなかった。
・・・気を取り直して、口を開く。

「それから、殺生丸さま。
 月読命(ツクヨミノミコト)という神は夜を統治する力を持った古参の神でございますが、
 殺生丸さまから見て母方の遠い先祖神に当たられます。
 殺生丸さまにも額に月読命さまの血の名残がございますゆえ、ご挨拶されておかれた方が
 今後のためにもよろしいかと存じます。
 月読命さまは、非常に知性溢れる、優しく穏やかな神でございます」

「・・・・・母上は、先祖の血が薄いのだな」

呆れたように背の上の殺生丸はそう言い、件(くだん)は苦笑した。
ゆるゆると神使の牛は空を下り、その背にのった美しい神は軽くため息をつく。

どうも己が思っていたより、八百万の神々とはそれぞれの個性が強く、感情豊からしい。
同族他族を問わず他者との関わりの少ない己には、少なくとも疲れそうな七日間ではある。

殺生丸が金色の目を細めて下界を見ると、様々な姿をした神々が光を帯びて、大きな社の
鳥居の前に集まっているのが見えた。
あそこが神迎えの場所らしい。

「・・・ああ、それから、殺生丸さま、主催神の大国主さまですが・・・」

あの場所に着くまで、件(くだん)の神講義は続くらしい。
殺生丸は小さく一つため息をつきながらも、その言葉に耳を傾けた。

 

 

 


※※※※※※※※※※※※

 

 

 

 

「・・・・そうか・・・殺生丸も闘牙の魂も、無事に旅立ったか・・・」

ご母堂の細い美しい指が、そうっと神酒の入った瓶子(へいし)を傾ける。
何せ、相手の杯は余りに小さい。酒が二滴落ちただけで一杯になってしまうのだ。
傾けられた瓶子からゆっくりと酒がぽたり、ぽたりと下に落ちた。
酒の雫を受け止めるのは、ご母堂の小指の爪より小さな酒杯・・・時巡りの翁の酒杯だ。

「・・・殺生丸さまの魂の器は、さすがはお二人のご子息としか言いようがありませぬな。
 まことに見事な神成りでございました。
 これで闘牙王さまの魂も、安らかに命の巡りへと身を任せられたことでしょう。
 されど、奥方さまにおかれましては、楽しみが一つ減ってしまわれましたのう・・・。
 毎年、この出雲の神議りに赴かれる前に、闘牙王さまの魂にお会いになるのを
 楽しみにされていらっしゃったのではありませぬか?」

ご母堂は微かに笑うと、今度は加減なしにとくとくと己の酒杯へと神酒を注いだ。

「・・・まったく闘牙も、因果な奴だの。
 あんな狗神の御印など早く誰ぞに渡してしまえばよかったのだ。
 さすれば、早うに十六夜とかいう人間の姫の元にでも転生できたであろうにな。 
 まあ、わらわは一年に一度、あやつの顔を見に行くのはよい暇つぶしになったが、
 闘牙は、あんなところで200年も、よくも、待てたものだ。
 ・・・それでも、あやつはどうしても殺生丸に渡したがったのだ。
 天生牙に選ばれし者こそが狗神の器なのだといってな。
 ・・・・さあ、一献飲め、翁よ。 闘牙の願いが叶った祝いの杯じゃ」

そう言い、ご母堂は杯を口元へ運ぶ。
細く、透き通るように白い喉が、数度上下した。
仙人の時を生きる翁ですら思わず見とれてしまうほどに、この未亡人は美しい。

(・・・・出雲の神議りに参られる男神たちは、今年からこの奥方が来ないことを
 ずいぶんと嘆かれることじゃろうの。
 件(くだん)曰く、奥方が毎年神議りに最後まで残らずに帰ってきてしまうのは、
 闘牙王さまが亡くなられてから延々続く、男神たちからのしつこい求婚が
 原因らしいからのう・・・)

だが、奥方の代わりに殺生丸さまが赴くことになれば、今度からは多くの女神たちが
大喜びすることは間違いない。
闘牙王さまは女神たちの酌にも笑顔で快く応じていたというが、
さてさて、あの武骨な息子はいかがであろうか。

翁はくすりと笑って杯を捧げ持つと、奥方に一礼して二滴しか入らぬ、けれど翁には
ぴったりの大きさの杯を口へと運んだ。


薄暗い宝物庫の中、時巡りの香炉の棚の前に、どこから持ってきたのか雅な小さな机と
猫足の椅子があり、奥方はそこに腰掛けて酒杯を傾けている。
机の上に置いた明かり取りの雪洞が、柔らかな光をゆらめかせた。
いつもこの城の女主人に付き従っている侍女もこの宝物庫へは入ることが出来ないらしい。
薄暗い宝物庫の中、向かい合って酒を酌み交わしているのは一寸ほどの翁と麗しき大妖の
二人きりである。
この神酒は香炉から離れることのできない翁を労(ねぎら)う為に、ご母堂が自ら運んで
きたものだ。

ご母堂は、また瓶子を傾け、空になった翁の杯にぽたりぽたりと二滴、酒を注いだ。

「・・・そなたには感謝している、時巡りの翁よ。
 闘牙の亡き後、西国の総大将の地位を狙っていた一族の妖どもは大勢いたが、
 闘牙の後継になるには狗神となることを条件にしたおかげで、野心あるものは皆、
 あの神成りの道に溶けてしまった。
 そなたと時巡りの香炉があったおかげで、闘牙の魂と狗神の御印は誰の手も及ばぬ所に
 幽(かく)れることができたのだ。
 私も一族に睨みを効かすだけで余計な争いをせずにすんだし、あの愚息が成長するまで
 時間を稼ぐこともできた。
 よくぞ200年の長きに渡り、闘牙の魂と狗神の御印を守ってくれた。
 ・・・礼を言わねばならぬな」

再び満ちた酒杯を手に、美しいご母堂を見上げて翁はにっこりと笑う。

「・・・私は何もしておりませぬ。
 私はただ、香炉の中へ訪れる客人を神成りの道へ案内しただけでございますゆえ。
 狗神の御印を誰も受け継ぐことが出来なかったのは、次々に訪れる御一族の方々の中に、
 闘牙王さまの魂を上回る器の持ち主がいらっしゃらなかったというだけにございます。
 ・・・それにしても懐かしゅうございますな。
 闘牙王さまがお亡くなりになられて200年・・・ということは、私がこの宮に来て、
 もう300年以上も経ったのですな」

懐かしむように翁は目を閉じた。
ご母堂は口元で酒杯を傾けながら、何かを思い出すように目を細める。

「・・・そう言えば、以前、闘牙から聞いたことがあるな。
 そなたは確か、元は伯耆の国の土地神の神使であったのであろう?」

「・・・ええ、さようにございます。
 懐かしゅうございますなぁ・・・・・。
 私が神使としてお仕えしていたのは、御名を佐保姫さまと仰る土地神さまで、
 春を司る優しき女神さまでございました。
 私は古(いにしえ)よりその地に住まう、名も無き妖でございました。
 ある日、土地神の佐保姫さまが指に小さな棘を刺してしまい困っていらっしゃったのを、
 私が抜いて差し上げたのです」
 
私には小さな棘がよく見えましたゆえ、と翁は笑った。

「佐保姫さまは大変お喜びになり、それがご縁となって私は神使として佐保姫さまに
 お仕えすることとなったのです」

「・・・ふむ。されど何故、土地神の神使がこのような香炉の中に住み、
 我が宮の埃臭い宝物庫に収まっておるのじゃ?」

ご母堂は首を傾ける。
翁は懐かしい目をして酒杯を仰いだ。
神酒が回ってきたのだろう、ほんのり、目元が赤い。

「いや、話せば長いことながら・・・。
 我が主、佐保姫さまは実におっとりとした女神さまでございましてなぁ・・・。
 神在月に出雲から神議りの召集状が届きましても、赴く途中に、
 やれ美しい花が咲いているだの、やれ川の水面が美しいだのとのんびりと道草をくって
 しまわれるので、毎年例外なく、神議りに遅刻してしまわれるのです」

「・・・そういえば、毎年、神議りには遅刻してくる女神がいたような気がするな。
 まあ、わらわも最終日まで残っていたことはないゆえ、偉そうなことは言えぬがの」

まったく反省していなさそうな奥方を前に、翁は苦笑しながら口を開く。

「ある年のこと、知恵の神である思兼神(オモイカネノカミ)さまが、
 毎年遅刻する佐保姫さまをさすがに見かねまして、この香炉を使えば神成の道を通り、
 出雲の空の上までひとっ飛びで来れるゆえ、使うがよろしいと下さったのです。
 一介の妖である私の身がこの香炉の中・・・神成りの道で溶けぬのは、思兼神さまより、
 この時巡りの香炉でそなたが案内役を務めるようにと使命を頂いたゆえなのでございます」

ご母堂は、ほう、と僅かに目を見開いた。
年に一度しか顔を合わせぬこの翁に、このような出自があるとは思っていなかった。
天上の神から使命を賜るなど、滅多にあることではない。

「土地神の神使とはいえ、名も無き妖が天津神から使命を授かることなど、
 滅多にあることではあるまい。
 思兼神と言えば、高天原に座す神の中でも、屈指の知恵者ではないか。
 そんな使命を授かっておきながら何故、そなたは土地神の元を離れてここにおるのじゃ?」

ご母堂の問いに、翁の表情はわずかに曇った。

「・・・奥方さまもよく覚えていらっしゃると思いますが、闘牙王さまが西国の妖の総大将と
 なられる前・・・400年ほど前の妖の世は、それはひどい戦に満ちておりました。
 都ほどではございませんでしたが、私の住んでいた伯耆の国にも妖たちの戦は起きました。
 佐保姫さまは穏やかな神さまでございましたゆえ、戦など喜ぶはずはございませぬ。
 けれど、一度起きてしまった戦火はなかなか収まらず、それどころか、土地神である
 佐保姫さまを喰らい、妖力を増そうとする悪しき妖が襲ってくる始末でございましてのう。
 私ども神使は力を合わせて佐保姫さまをお守りしておりましたが、長く続く戦乱に、
 佐保姫さまは『わらわの力では争いを押さえることはできぬ』と嘆かれるばかりで・・・。
 そんな時に、西の空より現れ、一振りの刀であの土地から悪しき鬼と妖を一掃して
 くださったのが、闘牙王さまなのでございます」

ご母堂は机に肘をつき手の甲に顎を乗せて、ふむ、と言った。
 
「400年前といえば、闘牙王が己の牙から鉄砕牙を打ち出した頃じゃな。
 そなた達には吉祥であったかもしれぬが、あやつにとっては、その一振りは
 鉄砕牙の試し切りのようなものじゃろうの」

翁はその言葉に頷いた。

「あれは、本当にとてつもない力を持つ刀でございましたな。
 闘牙王さまにとっては試し切りであっても、それで我らが救われたのには違いありませぬ。
 我らが手を焼いていた、あの地に蔓延(はびこ)る悪鬼たちは、あの刀で一瞬にして
 消し去られたのですからな。
 ・・・・佐保姫さまは闘牙王さまにとても感謝なされました。
 これで安らかにこの土地を見守ることができる、と。
 そして御礼として、この時巡りの香炉と神使の私を、闘牙王さまへ譲られたのです。
 この秋津島のため、そなたはこれから闘牙王さまのお役にたつように、と。
 闘牙王さまならば、いずれ必ず神籍を賜るであろうから、と・・・」

大昔の別れを思い出したのだろうか、翁の声が小さくなり、小さな小さなその目に
涙が浮かんでいる。

「住み慣れたあの地を離れることで私は土地の精気を吸うことができなくなりましたゆえ、
 この香炉から長く離れては、姿を保つことすらできなくなりました。
 けれど、それも佐保姫さまの命令ならば、神使としてはその命に従うのは
 我が意志も同然でございます。
 ですが・・・やはり、たまに思い出してしまうのです。
 佐保姫さまはお元気でいらっしゃるだろうか、と・・・」

ご母堂は、寂しそうな顔をした翁を、いたずらっ子のような表情でのぞき込む。

「・・・翁よ、元の主に会いたいか?」

「・・・・そんな、めっそうもございませぬ。
 私は、佐保姫さまの命により、闘牙王さまを主としたのです。
 そのような、勝手なことは・・・」

下を向いてしまった翁を見て、ご母堂はからからと笑った。

「闘牙はもう、この世から消えてしまったのだぞ?
  殺生丸が正式に闘牙の後継となった今、そなたが仕えるべき神はここにはもうおらぬ。
 一瞬で出雲の上空まで赴ける香炉は確かに便利ではあるが、殺生丸には必要なかろう。
 この時巡りの香炉とそなたは、わらわがその佐保姫とやらに返してやろう」
 
「ほっ・・・本当にございますか?!」

翁の驚いた声を受けて、ご母堂は、ニヤリと笑った。
ご母堂がこういう笑い方をするのは、面白い暇潰しを見つけたときだけであるのだが、
残念ながら、翁はそれを知らない。


「・・・・ちょうど良い。伯耆の国には、わらわも用があるしの」


ふふん、と奥方は笑い、酒杯へなみなみと神酒を満たした。

 

 

 

 


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