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あやかしとむすめ

殺りん話を、とりとめもなく・・・  こちらは『犬夜叉』に登場する 殺生丸とりんを扱う非公式FANサイトです。

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神そのものの価値


  
 
 
秋津島
この国は、八百万の神々の治めし国
 
その考え方はある意味正しく、ある意味誤っているといえよう。
 
この国の神々は、森羅万象の中に息づいているのだ。
その神威は多くの神々のそれと影響しあい、世界を司る法則となる。
そして複雑に絡まりあった神々の法則の狭間で、人間たちは 生を得ているにすぎない。

神々が互いに影響しあうこの秋津島では、外国(とつくに)のように単独の神が国を治めることはできない。
ゆえに、治める、という捉え方そのものが、誤っているのかもしれない。

神々はその多くが人間たちの目には見えない。
だが人間たちは、神の力がこの秋津島に満ち満ちていることを感じることができた。

神々は、そこかしこにいる。
神々は、八百万(やおよろず)もいる。
八百万の神々が、この国には満ちている。

それゆえ、この秋津島は、八百万の神々の治める国だ、ということになった。

ただ、それだけなのかもしれぬ。


では、神の価値とは、人間にとって如何なるものであろう。



ここに一匹の狗神がいる。


多くの人間たちは、この神を知らない。
ゆえに、この神を祀った社も無い。


この神はかつて、一人の人間の娘を愛し、子をなした。
その娘の短い生命を愛しむように、寄り添い共に生きた。

人間の娘は、男が神であったから愛したわけではない。
狗神とて、娘が人間だから愛したわけではなかった。

娘にとっても、狗神にとっても、ただ互いが惹かれあう唯一無二の存在であっただけである。

ゆえに、狗神は愛する娘を失ったのち、悲しみのあまり、それまで以上に人間から離れていった。

わずかな寿命の中で多くを願う人間の姿は、あまりに哀れで、すべてが娘の面影につながった。
人間の言葉はあまりに儚くて、耳にすれば、否が応にも愛した娘を思い出してしまう。
孤独な狗神には、耐え難い苦しみだった。


ゆえに、狗神はヒトを避けた。

ゆえに、ヒトは狗神を知らぬ。


狗神は、己に課せられた責務だけを、ただただ、孤独に果たし続けた。
秋津島にはびこる悪鬼や悪霊を浄化しつづけた。

・・・狗神は、愛する娘が残した、たった一つの希望に夢をみていた。


「・・・・・待ってて」


娘は、死ぬ間際にそう言った。


「・・・・・・・また、会えるから」


そう、言ったのだ。
 



・・・また、いつか。

・・・・・・また、いつか、生まれ変わったりんに、巡り会える。

・・・もしも、そうならば。

永い巡りから再び娘の魂が目覚めたとき。
その命の苗床となるこの秋津島が少しでも安らかであるように。


ただそれだけの為、狗神は己の責務を果たし続けた。

腰に佩いた一振りの神刀で、この秋津島を浄化しつづけるという責務を。




――― かつて、その名を知らぬものはないと言われた妖怪。






その狗神の価値を知るは――― 愛された人間の娘と、ただ、八百万の神々のみ。
 
 
 

 







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